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「身の程を知りたかった!」【令和初カープ談義】元プロ野球選手そして現クリケット日本代表・木村昇吾選手トークショーに行ってきました。

 
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為政伸彦
生粋の広島人。2015年に1ヶ月間カンボジアに行き、孤児院や日本語学校で活動。現地での出会いを通して、英語が話せると世界中どこでも行けるんじゃないか?と感じ、その後オーストラリア・メルボルンにワーキングホリデーとして過ごす。語学学校や日本語教師アシスタントなどで8ヶ月間過ごしたあと、2017年6月から地元・横川にオープンした「広島ゲストハウス縁」で日々奮闘中。

令和に入って2日目のゴールデンウィーク真っただ中に、ぼくの職場であるゲストハウス縁で、木村昇吾選手のトークショーが行われました!

このイベントの主催はぼくの知人の会社だったのですが、その知人が会場を探している中でうちに白羽の矢が立ったため、身近なところで開催されることとなりました。

ぼくは昔からカープファンということもあり、この日をとても楽しみにしていました。

木村昇吾選手といえば、クリケット選手に転身したことが話題となっていましたが、それでもやはり聞いてみたいことはFA宣言の真相ですよね。

どのような気持ちでその決断に至ったのか、そしてその後西武ライオンズに入団するまでのいきさつなど、とても興味がありました。

令和初のカープ談義でした。

プロ野球選手時代のマル秘話

木村選手と元々仲が良いという主催会社の社長さんとトークをしていくのですが、内容は大きく分けて3つ。

プロ野球選手時代の話、FA時の話、そしてクリケット選手になったことのお話という形に加え、お客さんからの事前アンケートに答えていくという流れでした。

まずは、プロ野球選手時代のお話。

お客さんの事前アンケートにも、やはりカープ時代のことを質問されている方がたくさんいらっしゃいました。

カープはもちろんのこと、ライオンズ時代のユニフォームを着られている方まで!

打った投手!

まずは、得意だった投手のお話。

横浜の高崎健太郎投手、巨人の西村健太郎投手、この2選手の名前が挙がりました。

どんな共通点があるのかなと思ったら、名前が「健太郎」だということでした。笑

その他にも、澤村拓一投手、菅野智之投手や大谷翔平投手からも打った!というお話がありました。

なんと上記選手、全員ドラフト1巡目なんですよね。

木村選手はドラフト11巡目。

そのため、やはりドラ一の選手には燃えるものがあったそうです。

プロ初ヒット

プロ初ヒットは、同じ高校(香川・尽誠学園)の大先輩である、伊良部投手からでした。

代打での出場で、命じられたサインはバント。

状況的に三塁に流すことができればバントが成功しそうだったそうなのですが、相手守備はサードアリアス、そしてピッチャーは伊良部投手。

守備力のある選手でなかっただけに「もしかしたらサードに転がせればセーフなるんちゃう?!」とよぎったそうです。

そして見事サードに流すことができ、バント成功に加え自身もセーフになりました。

それが、プロ初ヒット。

Wikipediaにはセーフティーバントでの初ヒットと書かれているのですが、実は「バントヒット」だそうです(本人談)。

セーフティーじゃなくて、普通のバントよ。

現在注目の選手

お客さんの中には、カープ女子ならぬ「木村昇吾女子」を自称している、かなり熱いファンの方も。

その方は、木村選手がプロ野球を引退して以来野球の応援に身が入らないということで、「木村選手一押しの選手は誰ですか?」という質問をされていました。

鞍替えという訳じゃないけど、その選手を応援したいとのことでした。笑

そんな中ひとり挙げた選手は、横浜の乙坂智選手でした。

カープ時代・アップ中の木村選手の元へ、当時ルーキーの乙坂選手走ってきたそうです。

その後の会話。

乙「ぼくのこと覚えてますか?!」

木「えっ、、、ごめん、、、分からんわ」

乙「実は小学生時代、木村選手が野球教室で来てくれて、その時に『プロで会おうな』と言われました。それ以来頑張ってここまで来ました!」

木「まじか!あああのときの!笑」

 

当時木村選手はプロ2年目くらい。

たくさんの子どもたちを見てきたはずなのでなかなか覚えることは難しいかもしれませんが、自分が関わった子どもとこうしてプロの世界で会えることがとても嬉しかったと話されていました。

そんなエピソードがあるため、乙坂選手には本当に頑張ってほしいとのことでした。

子どもの頃の体験って本当に大事ですよね。

選手側は覚えていなかったとしても、子ども側は一生忘れられない出来事となっていますからね。

FA時の真相は?!

2008年にトレードでカープに来てから8年。

2015年オフにFA宣言を行います。

その当時ぼくは「何で?カープおったらいいのに、、、」と正直思いました。

まず、なぜFA宣言をしたのか

カープに来てからはほぼ一軍にいた選手。

試合にも継続して出場し、その証にFAの権利を手に入れられました。

 

ですが、毎年のように繰り広げられるレギュラー争い。

木村選手が出られるのは、ポジションが被る梵選手や東出選手がけがをしたとき。

もしくはその当時若手で売り出し中の堂林選手の守備固めなど。

毎年レギュラーを目指しているのに、なかなかレギュラー定着とはいきません。

もちろん「一番大切なのは有無を言わさぬレギュラーになるための実力を付けなければいけない」ということは本人が一番思っていたと言います。

ですが、当時の野村監督や2015年から指揮をしている緒方監督からは「貴重な戦力だ」と言われていたそうです。

木村選手は、いわゆるユーティリティープレーヤーですよね。

そんな選手がベンチにいたら助かる、というのは本当に分かります。

試合にはレギュラーで出られないけど、ずっと一軍ベンチに入れ、年俸もそれなりにいただける(推定で4000万円くらいまで上がったそう)選手にはなれた。

ですがその状況に疑問が沸き上がったそうです。

 

「今までずっとレギュラー選手を目指してきたのでは?」

「ベンチ要員に甘んじる自分でいいのか?」

 

一野球人として勝負したい!という気持ちが起こり、その時手にしていたFA権を行使することに決めたそうです。

ネットにもいろいろ書かれていますし、本人の耳にも入っています。

「ネットとかに『身の程知らず』とか書かれたけど、そうなんよ、身の程を知りたかったんよ!」

限られた野球人生、挑戦しなければ!という想いがあるのは当然のことですよね。

 

しかしその後は周知のとおり。

なかなか移籍先が決まらない中で手を差し伸べてくれたのが、西武ライオンズ。

テスト生を経て、見事本契約を勝ち取りました。

シーズン序盤から一軍に上がり、順調に出場を重ねていましたが、そこで起こったのが靱帯断裂。

せっかくレギュラーを掴みかけていたかに思われましたが、無念の離脱。

同年オフに、戦力外通告されます。

翌年は育成選手として再契約をし、そこから再び本契約、一軍出場と這い上がりましたが、本人曰く「自分が一軍でできるレベルの最も低い状態」だったそうです。

同年オフには再び自由契約になります。

こんなに近くで話を聞けるのはかなり貴重なのでは?

なぜクリケット選手に?!

まだ野球を続ける情熱もあり、靱帯断裂していた右ひざの状態も上がってきたことで、オフに行われる12球団合同トライアウトに参加します。

会場は奇しくも広島・マツダスタジアム。

古巣スタジアムである木村選手に対しては、その日最も大きな声援が送られていたそうです。

FA移籍こそしましたが、やはり木村選手は広島の人から愛されているんですよね。

トライアウト後はライオンズの練習場でバッティングをしていたそうなのですが、その時あるスポーツ紙の西武担当記者から電話がかかってきたそうです。

どこかの球団からオファーが来たのかな?!と思って出たその電話で「実は、クリケットというスポーツがありまして、、、」という話。

電話での会話中、なぜか「おれ、クリケットやるかもな」という不思議な気持ちになったそうです。

奥さんに相談したときも「面白そうやん、やってみ!」と。

そうして木村選手のセカンドキャリア=クリケット選手の人生が始まったのです。

クリケットのバッティングの構え。野球ほどカッコが付かないらしい。笑

ポジティブおばけ

今後、木村選手はクリケット選手転身という前代未聞の挑戦を通じて、日本ではまだあまり知られていないクリケットの魅力を広めると同時に、プロ野球選手のセカンドキャリアの可能性についてもどんどん広げていかれると思います。

本人の性格は自他共に認める「ポジティブおばけ」だそうです。笑

どんなことでも前向きに考える、困難なことが起きたら「どうしたら解決できるかな」という発想など、彼の生き方から学べることがたくさんありました。

次回はぜひクリケット体験会をやりましょう!という話になったので、今後もまたお会いできそうです^^

もちろん野球あっての人生なので、野球教室などで野球界にも恩返しを続けていかれるとのことです。

再び会えるのが楽しみです!

令和初のサインということで、「令和元年」

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為政伸彦
生粋の広島人。2015年に1ヶ月間カンボジアに行き、孤児院や日本語学校で活動。現地での出会いを通して、英語が話せると世界中どこでも行けるんじゃないか?と感じ、その後オーストラリア・メルボルンにワーキングホリデーとして過ごす。語学学校や日本語教師アシスタントなどで8ヶ月間過ごしたあと、2017年6月から地元・横川にオープンした「広島ゲストハウス縁」で日々奮闘中。

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